2015年11月28日

TEST

PV映像やポスターを見ていただいた方はご存じかと思いますが、「ご縁の国しまね」のキャッチコピーは「運は一瞬、縁は一生」です。
「運」と「縁」、本当はどっちも大切だよね?

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という疑問にお答えして、このキャッチコピーに込めた思いを少しご説明します。
幸せになるためには「運」も「縁」も両方必要で、人生の中で時間をかけて紡ぎ、つなげるものが「縁」、その一瞬を切り取った瞬間が「運」だと考えています。
そして、このキャッチコピーには、その中で「しまね」は日頃の心がけで深めたり、つなげることができる「ご縁」を大切にしたい、というメッセージを込めています。
そんな思いを込めた「ご縁の国しまね」です(^^)

投稿者 takagi : 09:33 | コメント (0)

2010年08月03日

正しい笑顔の作り方


 昔から「笑う門には福来たる」といわれますが,不景気なご時世のせいか,ちかごろは笑顔を見かけることが少ないような気がします.
 何か景気付けのイベントをやろうと会議をしても,みんな苦虫をつぶしたような険しい表情になっていることが多いようです.本来ならば微笑で迎えてくれなければいけないはずの銀行の窓口やデパートの店員さんたちも,最近はみんな口をへの字にしてなんとなく陰気な面持ちです.レストランのウェイトレスも仏頂面で料理を運んでくるようでは,せっかくのご馳走もおいしくなくなります.町じゅうみんなしかめっ面ばっかりだと,楽しくありません.活気がでません.人がどんなに集まってきても,盛り上がりもなければ,明るくもならないのです.笑わぬ門には福など来ようはずもありません.

 朝散歩をしているときにすれ違う人と「おはようございます」と挨拶を交わし,にっこり微笑むことは,ウォーキングや朝のすがすがしさにもまして気分が良いものです.ところが,なかなかこのさりげない「にっこり」微笑みというのがむずかしい.ちょっと間違えれば,「にっこり」が「ニヤニヤ」や「ニンマリ」になってしまいます.知らない人とすれ違いざまに「ニヤッ」とされたりしたら不気味です.

 素敵な笑顔を作るには訓練が必要だということをご存知でしょうか.顔の表情で喜怒哀楽がわかりますが,これらは表情筋と呼ばれる口の周りにある複数の筋肉が,のびたり(弛緩)縮んだり(収縮)することで表現されます.ふだんから仏頂面しかしていないと,笑顔を作る筋肉の動きがにぶくなってしまいます.そんなひとが笑ってみても,なんだかブルドックがくしゃみしたみたいな,ぎこちない表情にしかなりません.「ニヤリ」でも「ニンマリ」でもなく「にっこり」の表情を作るには,ふだんから口を縦横斜めにいろいろ動かして,表情筋の動きを滑らかにしておくことがだいじです.鏡に向かって百面相をしてみましょう.そして「ラッキー!」「うれしい!」「たのしい!」「すばらしい!」などとゆっくり,はっきり言ってみましょう.ほら,筋肉がだんだんほぐれてきたでしょう.そして,最後に「だいすきー(大好き)」と言ってみましょう.そのときの唇の形や歯の見え方など,とても素敵な「にっこり」笑顔になっていませんか?

 笑顔は,自分も相手も街も社会もみんな明るくなります.ハッピー・スマイルです.表情筋を訓練して「にっこり」笑顔を作ってください.でも一番大切なのは,嫌なことは忘れて,心から楽しくなることです.

投稿者 takagi : 12:44 | コメント (0)

ゆとりの診療

 ちょっと体の具合が悪くてこの夏に数回病院通いをした。そこは
公立の大きな病院で、あらかじめ紹介状をいただいていたのだが、
初診の日には受付けをしてから診察を受けるまでに2時間以上待た
された。

 ドクターの診察を受けてからも、検査のために数ヵ所の窓口で手
続きをするのだが、それぞれの場所でもやっぱり結構な時間待たさ
れた。待合室は狭く、ほとんどの診療科で、廊下にベンチがおかれ
てそこで長い時間待たされることになる。決して広くない廊下には
患者さんがあふれており、通りすぎる患者さんとぶつかることもし
ばしばあった。病院に来ただけでどっと疲れが出た。
 猛暑の今年の夏。冷房もほとんど効果がなく、病人、ことにお年
寄りや重篤な疾患をもっている患者さんたちにとっては、病院通い
はそうとうに大変なことだろうと思いながら、自分の番を待った。
 
 決してドクターも看護婦さんも、怠けてのろのろしているわけで
はない。むしろきびきびと手際良く仕事をこなしている彼等の姿に
は好感さえもてた。自分の診察の番になって、ドクターからの問診
に、自分の症状や経過をいろいろ話そうと思うのだが、あんまり細
かく時間をかけてしまっては後に待っている患者さんに気の毒だ、
などと遠慮がちになってしまう。
 ドクターも一生懸命僕の話しを聞いてくれて、「うんうん」とう
なずいてくれてはいるのだが、書いているカルテは僕のではなく、
おそらく僕の前の人のもので、処方を記入している様子だった。

 あふれる患者を前に、ドクターは患者をこなしていくことに精一
杯で、果たしてひとりひとりの患者の顔や表情をチェックしてくれ
ているのだろうかと、少し不安になる。それ以上に、ドクターの顔
を覗き込むと無表情で疲れた様子さえうかがえた。

 採血の部屋でも順番待ちを強いられた。3人の看護婦と検査技師
の方が、無口ながらも手際良く次々に差し出される患者の肘窩部の
正中静脈に、ディスポーザブルの採血用注射器を突き刺し、どんよ
りと濁った静脈血をシリンジに逆流させている。採血されたシリン
ジは、名前の書かれたラベルが貼られて脇のラックに次々と立てら
れていく。注射の痛みをこらえてしかめッ面をしている患者の顔や
表情など見ている様子はない。人の生命の源でもある血液を扱って
いる、という雰囲気ではない。缶詰工場でトマトジュースが作られ
ているような、システマチックな光景だった。
 他人と間違ってラベルが貼られるというようなことはないのだろ
うか、などと余計な心配をしてしまう。

 患者の立場になって病院を受診していると、ひとつひとつの行為
に、なんて余裕がないのだろう、とつくづく感じてしまう。現在の
日本の医療の現場は、病気を治す場かもしれないが、人としての患
者を診る聖域としてのホスピタルとはとても思えない光景がいくつ
も目についた。

 汚れたスリッパ、無愛想で口数の少ないスタッフの応対、雑然と
して不快な消毒臭のする診療室、中途半端な消毒滅菌など、以前の
病院のイメージはかなり改善されてきていると思うが、自分の診療
室も含めてまだまだわが国の多くの医療の現場は、空間的にも、時
間的にもゆとりがないと思う。さかんにインフォームドコンセント
などが叫ばれてはいるものの、なかなか確実に遂行されるだけの余
裕がないのが現状で、医者も患者も相変わらずへとへとになって毎
日が過ぎているようだ。

 僕の最後の受診のとき、「あんまり無理をして仕事をしないよう
に。すこしゆとりをもって生活してください」と主治医のドクター
に忠告された。
 「先生こそ、どうぞ無理をなさらずに」と、僕は心の中でつぶや
いた。

(1994.7.31.)
デンタルダイヤモンド掲載

投稿者 takagi : 12:22 | コメント (0)

雑誌考

 ラーメン屋で、「辛みその大盛りひとつ」と注文してからラーメン

ができあがるまで、カウンターの傍らに置いてある汁でべとべとに

なった『アサヒ芸能』なんかを手に取って、ぺ一ジをめりめりっと

剥しながら読んでいるのは、結構絵になる様です。そこに『家庭画

報』などがきちんと並べられていると、せっかくの辛みそラーメン

がまずくなってしまいます。

 雑誌にもTP0があるようで、電車で読むのはぺらぺらな写真週

刊誌、美容院では女性週刊誌と、相場は決まっているようです。

 われわれ歯科医院の待合室にも雑誌が置いてあると思うのですが、

どんな雑誌が適当なのでしょうか。

 あまりアポイントメントがしっかりしていなくて、長時間患者を待

たせるところでは、古い週刊誌やコミック雑誌が雑然とたくさん置い

てあって、たいていボロボロになっています(高木歯科医院がそうです)。

待合室の雑誌ひとつをとっても、そこの医院のポリシーがうかがえる

ようで、一考を要します。

 ところで、雑誌というのは、時間潰しのためだけではなく、情報

を得るのにはとても便利なメディアです。特に昨今ではカタログ的

な情報雑誌が氾濫しています。たいてい創刊号は作り手のヤル気が

満々で、プランニングもしっかりしているので面白いものが多いの

ですが、号を重ねるにつれマンネリ化して、作り手のぺージを埋め

ることの義務感だけが伝わってきて「うーむ」と捻るような記事が

少なくなってくるのが一般的傾向のようです。

 話はそれますが、今年の夏の甲子園決勝の帝京-仙台育英戦は、

(個人的に“みちのく旋風"の思い入れもあって)とても感動的でした。

中継のアナウンサーも、感極まって涙声になっていました。

 翌朝の朝日新聞のスポーツ欄も思い入れたっぷりで、読んでいる

私も(記者以上に思い入れがあったせいか)思わずこみ上げるものが

ありました。

 雑誌に限らず、マスコミの中に“思い入れ”があまり入り込むと、

受け手にとっては結構シラケるものがあるのですが、記者や編集者の

心情がしみじみと伝わってくるのは世の中が何でもデジタル化してい

る現代、多少個性があって良いと思うのです。

 歯科雑誌もたくさんでています。雑誌によっていろいろと個性があ

って毎号楽しみにしています。他の雑誌と違って、歯科雑誌は古くなっ

ても捨てられず、書斎の本棚にぎっしりと並んでいます。

 先日、タイムマシン感覚で古いものから順番にずーっと読み返し

てみました。単なるテクノロジーの紹介が中心だった学術論文も、

しだいに何かにこだわるようになってきて、特に最近ではhow to

よりも「患者の心-医者の心」みたいなものが目につくようになっ

てきました。編集者の“思い入れ”でしょうか。

 われわれ臨床家も、思い入れの診療を心がけたいものです。

投稿者 takagi : 12:21 | コメント (0)

過激な平和主義者

 残念ながら診療所と自宅が一緒なもので、仕事が終わって帰りに

ちょっと一杯、というのがありません。

でも、ときどき(嫌いじゃないので)わざわざ出かけて“縄のれん”

をくぐります。私は断然“縄のれん”派で、ホステスさんがいるよ

うなところには(嫌いじゃないのですが)滅多にいきません。


 “縄のれん”の中では、勤め帰りのサラリーマン諸氏が、生ビー

ルのジョッキ片手に、上顎第一大臼歯の咬合面までみえるほど大き

な口を開けて屈託なく笑っている様や、暗い眼をしてブツプツと独

り言をつぶやいている“さびしいお父さん"など、いろいろな人問

ドラマが、あちらこちらでみられます。

 特に興味をそそられるのは、上司1部下3くらいの小グループ。

上司が「まっ、今晩は気楽にのんびりやろうや」なんていっておき

ながら、部下Aから注がれたばかりのビールの泡がコップから渥れ

出ているのにも気づかずに、ニカッと開面金冠をきらつかせて部下

Bおよび部下Cにむかって説教を始めたりします。部下たちは目の

前の串カツに舌つづみを打ちながらも、上司の話に相槌を打つのに

いそがしくて、なかなか口にできなかったりしています。

 上司は、酔うほどに雄弁になって「口角に泡」のひととなり、時

折緊張して身を固くしている部下ABCに、「気楽に、気楽に……」

を連発しているのですが、次第に眼が座ってきて、言葉も荒っぼく

「今日は、気楽に飲もうっていってんだよ! オイッ!!」と、過激に

気楽を強要するに至ります。

部下たちがすっかりシラケているそんな光景は、笑うに笑えないとこ

ろがあります。

 以前、自然保護を訴える記事を書くために、天然記念物の大サンゴに

記者自身が「KY」と彫り込んだという事件がありました。こんなに大

きな杜会問題でなくても、「街をきれいにしましょう」というポスター

が街のあちこちに汚らしく張ってあったり、図書館で「静かにしなさ

い!」という声のほうがよっぽど耳障りだったり、けっこう身近なとこ

ろにも、過激な平和主義者というのがいるものです。

 私達歯科医も、患者のためと思い込みながら、その実、患者にと

っていい迷惑、歯医者のひとりよがりみたいなところが、かなリの

部分であるのではないでしょうか。

 ところで以前、歯科医師会の事業でへき地診療に行ったことがあ

ります。1年に3日問だけ、その地区で歯科の治療をするのですが、

初日の午前中だけで50人近くの患者が、待合室になっている公民

館にひしめいていました。患者は、この日が来るのを1年間待って

いたのです。

 息が止まりそうな思いで、プラークベっとりの歯を削り、咬合平

面の凹凸な義歯のリライニングをし、残根を抜歯してきたのでした。

 患者は口々に「アリガトサマッス」と満足げでしたが、あれでほ

んとに良かったのかと、いまでも気持ちの中に鉛が沈んだような思

いでいます。

 

注)1989年以降、私は診療室と自宅は別なので、あこがれの
  「仕事帰りに一杯」を堪能しています。でもやっぱり縄のれんが中心。

 また、現在山形県歯科医師会ではへき地診療を廃止しています。

日本歯科評論No.562/1989年8号掲載

投稿者 takagi : 12:17 | コメント (0)

除湿機

存在感のあるものとないものとでは、世間の評価がずいぶん違ってきます。

学生時代(小学校から大学まで。特に小学校時代がそうなんです

が……)、成績の良し悪しにかかわらずクラスの中でよく目立つやつ

がいるかと思えば、一方で、ほとんど目立たず、先生からも目にか

けられず、たまに学校を休んでもまったくクラスの雰囲気には影響

を及ぼさず、後に同窓会なんかに出席しても、「こんなやついたか

な?」なんて、いくらがんばっても思い出せない、そんな人がひと

りやふたりいるものです。

 どちらが得かは、よくわかりませんが、存在感のある人のほうが

一般的には高く評価されやすいように思います。

 ところで、私の書斎には除湿器がおいてあります。書籍やスライ

ド写真などがかびるのを恐れて、一昨年の春から使っています。

除湿器というやつは、まったく書斎の中で存在感のない機械です。

エアコンのように部屋を暖めるでもなく、冷やすでもなし。また、

電気スタンドのように灯りをともすでもない。ラジオみたいに音楽

などが聞こえてくるわけでもありません。

 除湿器は、まったく自分からは行動することなく、部屋の隅で静

かにじっと息をひそめているだけの箱です。それでいて、何もして

いないかというとそうではなく、毎日1ないし2リットルもの除湿

水を排水タンクに溜めて、その任務を確実に遂行しています。おか

げでこれまで悩まされていた結露も、アレルギー性鼻炎がおこる頻

度もめっきり減りました。

 似たようなもので(どこが似ているのか、といわれても困ります

が……)、加湿器というものがあります。こいつは年中蒸気を吹き出

して、その存在を誇示している派手な機械ですが、どうもその効果

という点ではいささか疑問があり、除湿器のような信頼感はありませ

ん。

 本屋で「全国のよい歯医者」みたいなタイトルの新書本や、健康

雑誌の特集号をときどきみかけます。「よい歯医者」の選択の基準や

システムについてはよくわかりませんが、ぺ一ジをめくってみると、

論文や講演会などで存じあげている著名な先生方や、私と同じ地区

の歯科医師会の先生の中でも評判の高い先生が掲載されており、な

るほどよく調べてあるな、と感心させられることがしばしばありま

す。

 しかし、具合が悪いのは、ここに載っていない歯科医が皆「よく

ない歯医者」みたいに思えてくることです。プランド志向が強くて

群衆心理旺盛な日本国民の多くは、身近な「名医」に気付かずにいる

ようです。

 世の中には、目立たず地味だけれど、まじめで、確実な仕事をし

ている、除湿器みたいな歯科医が大勢いると思うのですが……。


日本歯科評論No.556/1989年2月号掲載

投稿者 takagi : 09:53 | コメント (0)

歯医者と医者

医者はかっこいいが、歯医者はどうもかっこが悪い。子どもが、「僕は大きくなったらお医者さんになって、病気の人を助けるんだ」なんていっていると、「それは偉いね」と、大人たちは目を細めて褒めてくれる。しかし、「僕、大きくなったら歯医者になるんだ」なんていうのを大人が聞けば、「この子ったら、金儲けのことを考えている」みたいに思われる。あまり手放しで「えらいね」とは褒められない。


歯医者になるためには、医者になるのと同じように6年間大学に通って、国家試験を受けなくてはならない。医学部(医科大学)に行くか歯学部(歯科大学)に行くかの違い。医師国家試験を受けるか歯科医師国家試験を受けるかの違い。勉強も、解剖や生化学、生理学など基礎的なことは一通り医者も歯医者も同じように習う。歯科の基礎科目の中に「歯科理工学」という材料学があることと、臨床の科目が違うことくらいなものだ。
 医者は、人間の生き死にに直接関わって、なんかとてつもなく奥が深いドラマが潜んでいるようでもある。さまざまな「生き様」や「死に様」に接しているから、医者はそうとうな人格者であるに違いない、と世間のひとたちは思っている。それに比べると歯医者というのは、診療のエリアが口のなか、と限定されていて、しかも生死に関わるような緊迫した仕事ぶりなんてあんまり想像できないから、世間からは「夜勤や急患なんかなくて、時間が自由でいいね。夜は女の子と遊んで、酒飲んで、寝る前に金を数えてほくそ笑んで、気楽でいいね」みたいに思われている節がある。

そんなわけで、「医者の物書き」というのは昔から結構多くいて、また注目もされているけど、「歯医者の物書き」なんて、いるにはいるがあんまり受けない。医者や病院がテーマの話は山ほどあるが、歯医者を舞台にした小説や映画はきわめて少ない。あっても、歯医者の「治療が痛い」という残酷なイメージか、二枚目主役の「プレイボーイ」ものか「青春」ものくらいなものだ。
 いつか、歯科をテーマにした歯医者にしかかけないような壮大な小説を書いてみようと思っているのだが・・・。「誰も読む気にならない」とは悪友の弁。それほど歯医者をとりまく環境に魅力的はないのだろうか。

投稿者 takagi : 09:52 | コメント (0)

スーパーデンティスト

悪漢がのさばって小市民をいじめているところに、どこからともなくやってきてスーパーパワーでたちどころにやっつけてしまう。そんなスーパーヒーローに、子どもの頃からあこがれていました。

 スーパーヒーローには、月光仮面や七色仮面などのような正体不明の「仮面型ヒーロー」や、鉄腕アトムや少年ジェットのように、普段からそのままの姿で生活している「友達型ヒーロー」、あるいは、スーパーマンや仮面ライダーに代表される「変身型ヒーロー」など様々なタイプがありますが、いずれ劣らぬ強力パワーと正義の魂は、熱血少年の心を魅了していたのでした。
 「僕もいつかはスーパーヒーローに・・・」の夢を抱いて、風呂敷を巻いて屋根の上を飛び回っていました。

 気がついたら、スーパーヒーローにはなれなくて、歯医者になっていました。たまにコンポジットレジンの充填がうまくいったときなど、わき上がる感動を覚え、「おれはもしかしてスーパーデンティストなんじゃないか、フフフ・・・」なんて自惚れながら、患者に鏡を持たせて「今日、ここんとこ歯とおんなじふうに詰めておきましたから」などと得意げになって説明したりしています。
 歯科雑誌などに、フルマウス・リコンストラクション(全顎的治療)の症例で、エンド(歯内療法)もペリオ(歯周治療)もきちんと施され、補鉄物もきれいに仕上げられ、リコールも完璧に遂行されて長期的なフォローアップがおこなわれた報告論文がたくさん載っています。
 「ああ、これがスーパーデンティストの仕事なんだな」とつくづく感心してしまいます。1歯単位の精度の高さは当然で、全顎的なペリオのコントロールも十分。咬合平面や顎関節機能にもこだわった治療をさり気なくこなしている歯科医のことを思うと、「ふーっ」と、溜息が出ます。
 専門医制度の確立しているアメリカなどでは、それぞれのスペシャリストがそれぞれの責任の元で、高い水準でひとりの患者を複数の歯科医が診ており、ある意味ですばらしいシステムだと思います。
 そんな専門医制度のない日本の日常臨床の中で、エンドもペリオも充填も補綴も外科も矯正も、小児から老人までありとあらゆる患者に対して高い水準で治療を進めていくことは、決して容易なことではありません。まして、患者を長期に歯科医の管理下においておくためには、患者と歯科医との人間関係が深く関わってくるので、歯科医としてのみならず、人間としても卓越した魅力がなければつとまらないでしょう。それがスーパーデンティストに違いありません。
「ふーっ」また、溜息が出てしまいます。

 さて、自分の臨床は、というと、「今度の日曜日に結婚式があるんで、奥歯はいいから何とか前歯だけでも入れてくれ」とせがむ患者の言うなりになっている「開いててよかった」のコンビニエンス型スーパー・デンティスト(別名便利屋的よろず歯医者)です。

(日本歯科評論 1988 掲載)

投稿者 takagi : 09:37 | コメント (0)