2010年08月03日

GK斎藤誠一のこと

 僕が校医をしている小学校で、サッカーをしている5年生の男の子のひとりに、「モンテディオの選手で誰が好き?」ってきいたら、“斎藤誠一”と即答した。守護神・鈴木克美ではなく、誠一というのに僕は驚いた。
 誠一には失礼だが、3人のモンテのGKの中で、ほとんどゲームにも出たことがなく、モンテファンでも彼の存在など知らない人がほとんど。なのに、このサッカー少年は、誠一が大好きなんだと言う。「サインも持ってる!」と自慢げだった。理由を聞いてみると、彼が参加したモンテのサッカー教室で、一番熱心に教えてくれたのが誠一だったというのだ。(二部の控えとはいえ)憧れのJリーガーに、手取り足取り教えてもらえば、感激するのは当然だ。誠一の情熱と、絶やさぬ笑顔は、きっと多くの山形のサッカー少年達の心に残っていると思う。

 リーグ戦も終わり、天皇杯も敗退して、モンテディオの話題が消えていたある日、仕事を終えて家路につこうとした僕の携帯電話が鳴った。発信先は知らない番号だったけど、出てみるとそれは誠一だった。「来季の戦力外になったんで、山形を離れることになりました。山形を去る前に、先生にご挨拶に伺いたいと思いまして・・・」

 2度一緒に食事をしただけ。しかも他のたくさんの選手達と一緒に。なのに、誠一は義理堅く僕のところに挨拶にきてくれた。一杯飲むか、って誘ったら、10時までなら・・・と、短い時間だが付き合ってくれた。

「これからどうするの?」「他のJ2チームのセレクションも受けているんです。受かるかどうかわかりませんが」

 誠一は、山形にいた2年間の思い出と、まだまだプロのプレーヤーとしてチャレンジしたいというこれからの夢を語ってくれた。別れ際に交わした彼との力強い握手の感触は、ずっと忘れない。誠一、がんばれ!僕も君の大ファンだ。

 01.12.某日

投稿者 takagi : 12:49 | コメント (0)

西山哲平選手のこと


近ごろ僕は、趣味の欄に「サッカー観戦」と書くようになった。子供の頃からスワローズのファンで、趣味は断然「プロ野球観戦」だったのだが、2000年の春に地元のサッカーJ2チームである、モンテディオ山形のゲームでその年に移籍してきた西山哲平選手のプレーを見てから、僕はサッカーのそして哲平の大ファンになった。

それまでにも何度かモンテの試合を観戦していたが、熱狂するほどではなかった。しかし、哲平がみせるドリブルでの駆け上がりや、正確ですばやいパス回し、そしてなによりサイドからのミドルシュートが絶妙で、僕はすっかりサッカーに魅了された。なにしろ哲平は、二年間ブラジルでのサッカー留学を経験し、ベルマーレ時代には中田英寿や呂比須ワグナーらとともに天皇杯優勝など黄金期を築いたメンバーのひとりなのだ。サッカーに関してはまるで素人の僕の目にも、哲平の溌剌としたプレーはすごく光って映った。

ある晩、僕は居酒屋でモンテのコーチとその日のゲームのことを肴に酒を飲んでいた。僕はいつものように「哲平はすごいね!」を連発していた。適当に酔いがまわってきたころ、ふと背後に気配を感じて振り返ると、そこに哲平が立っていた。コーチが気遣って、僕のために呼んでくれたのだった。僕のテンションは一気に高まり、声も一オクターブ高くなり、酒のピッチも高まって、翌日は久しぶりの二日酔いを経験した。

その日以来、ゲームで応援するだけでなく、哲平とはたびたび食事をし、家に遊びに来たりする仲になった。ゲームで見せるアグッレッシブなプレーとは裏腹に、普段の哲平は礼儀正しく親切で、とてもジェントルな青年だ。見知らぬ土地での生活や、プロの選手としてのさまざまな試練、二十代の若者の喜怒哀楽をいろいろ語ってくれた。彼とそんな話をするひとときも、子供を持たない僕にはとても楽しい時間だった。彼も僕のことをまるで“親戚のおじさん”のように慕ってくれた。

哲平にとっての山形での二年目のシーズンが終わった初冬。モンテは惜しくもJ1昇格を逃したものの、“強いモンテディオ山形”のイメージは全国的に広がっていた。哲平とも「次は絶対にJ1を狙おうね」と言っていたある日、哲平に大分のチームからオファーがきた。散々悩んだあげく、彼は再びJ1でプレーすることを目指して、大分トリニータへの移籍を決意した。

2002年、トリニータに移籍した哲平は大活躍。僕はテレビ観戦のみならず、東京近郊での試合に足を運んだ。大分にも行った。地元モンテとのゲームでは、複雑な気持ちで応援した。このシーズンのモンテは最下位。一方トリニータはセレッソ大阪、新潟アルビレックスと熾烈な昇格争いを演じていた。残り数試合のところで、哲平のロスタイムに決めたゴールによって、トリニータは頭ひとつ抜け出した。

11月2日、大宮スタジアム。トリニータはここで勝てば昇格が決まるという大宮アルディージャとの試合。劣勢の中、哲平がドリブルで抜け出し、みごとなセンタリングで昇格を決める1点をアシストした。試合終了後、トリニータの選手達は跳ね回って喜び、ゴール裏のサポーター席に、着ていたユニフォームやスパイクを投げ入れていた。僕は哲平の両親と一緒にメインスタンドの片隅で、涙を流しながら握手をしていた。

スタジアムの外に出てきた哲平に、僕は言った。「昇格おめでとう。移籍は正解だったね。今度はジュビロとかアントラーズとの試合を大分に見に行くから。また、だんご汁食おうよ」そしたら「これ先生に。昇格の記念」と、彼は袋に入ったスパイクを僕にくれた。

僕の大切な宝物です。

 

2002.12.12.


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投稿者 takagi : 12:48 | コメント (0)

斎藤純一君のこと

山形市桜田で歯科医院を開業している、斎藤純一先生のことである。

純一君とは、小学校に上がる前からの付き合いらしい。大人になって、純一君のお母様から一枚の写真を見せてもらったことがある。ヤマハのオルガン教室の発表会での写真である。確かに僕は、オルガン教室に通っていた。彼もそこに通っていて、同じクラスだったらしいのだ。

その発表会の写真。半ズボンに蝶ネクタイ。膝のところにしわを寄せて白いタイツをはいて、ぴかぴかの革靴。完璧、よそ行きの格好である。純一君は他の子ども達と並んで、オルガンに向かって鍵盤に手を置いている。なぜか僕は、その脇に立ってトライアングルを持っていた。オルガンの発表会なのに・・・。

中学では同級生だった。彼は成績も良く、短距離走がめっぽう速いスポーツマンで、(今ではまったく面影はないが)キムタク似のハンサムな生徒だった。したがって、当時は僕の友達ではなかった。3年生の時に、僕はふたつ下の陸上部の女子生徒を好きになった。勇気を出して告白したら、「わたし、純一先輩が好きなの」と言われ、あっけなくフラれた。

二人とも開業して、付き合いができた。彼が独身の頃(よっぽど暇だったのか?)、ボードゲームを持って毎晩のように風間の我が家まで遊びに来た。ちょっと気の利いた酒の肴、ドイツのソーセージだとか、珍しいチーズだとかも持ってきた。彼は、ゲームがやたら好きだったが、駆け引きが下手であまり強くはなかった。でも、必ず僕をコテンパンに負かすまでやった。気づいたら、我が家の冷蔵庫は、彼が持参した怪しいつまみ類が占拠していた。ゲームに夢中で、酒を飲むのも忘れていた。

ある日、僕は純一君と彼の二人の息子を連れて、スワローズの野球を観にいった。僕の熱烈な応援と、ややおせっかいな解説の甲斐があって、彼の長男は野球が好きになった。現在リトルリーグで活躍中である。でもなぜか、巨人ファンらしい。次男はサッカーが好きだというから、モンテディオのゲームにも連れて行った。素直にモンテディオのファンに育って欲しい。

2002年、FIFAワールドカップ。純一君はマメに応募して、家族四人分のチケットを当てたと喜んでいた。良く聞けば、火曜日の宮城スタジアムのゲームらしい。子供が学校を休んでサッカーなんぞを観にいくのはいかがなものか、と代わりに僕が行ってあげることを進言した。彼は快く次男のチケットを僕にまわしてくれ、大雨の中、日本対トルコのゲームを観戦できた。純一君、ありがとう。とても楽しかった。感謝しています。

 
2002.10.10.

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投稿者 takagi : 12:47 | コメント (0)