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2005年10月29日
墓参りと神宮参り
父の命日が近いので、墓参り。
上京のついでに、神宮へ。とはいっても、今回はスワローズではなくマリノス。
早朝の新幹線で上京し、なんとか昼前に墓参りを済ませることができた。
どんよりとした曇り空だったが、墓参りに来るといつもすがすがしい。
まだこの辺は紅葉には少し早いようで、樹木は色づき始めたばかりだった。
ちょうど隣の某教会の共同墓では納骨式が行われていた。
髙木家の墓は、両隣を教会の共同墓で挟まれている。
いつも神様の祝福をいただいているのだ。
両親に近況を報告し、今日のモンテとマリノスの勝利を祈念して待たせていたタクシーに乗り込んだ。
八王子までの途中で、雨がぽつりぽつりと落ちてきた。
「こりゃ、平塚は雨だろうな。モンテ大丈夫だろうか?」と考えながら中央線で新宿へ。
初めて乗る大江戸線で国立競技場前で降りる。
おぉ!目の前が国立競技場やんけ!
(驚くと、どっかの地方の言葉になってしまうのは、なしてだべ?)
入り口前で待機していた姉夫婦と合流し、#15のユニフォームを姉に着せ、Jリーグ元年に初めてマリノス戦を見たときに買ったド派手なキャップを義兄に被らせいざ入場。
雨を避けて、屋根のついている席を取ったのでピッチまで遠い。
ベスパもそうだが、陸上競技場として立派であれがあるほど、スタンドとピッチは遠い。
ウォーミングアップの為に選手登場。
久しぶりの久保。もじゃもじゃ頭のボンバー。
でもやっぱり#15、大島秀夫が一番良く目に映る。
ゲームが始まり「なんか、みんなサッカー上手くなったね」という姉の一言に思わず飲みかけたビールを鼻から噴出しそうになった。
考えてみると彼女はモンテのゲームしか見たことがなくて、初めてのJ1の生の試合を見ていたのだ。
マリノスとモンテを混同している・・・
ハーフタイムに気になってJ2の結果をチェックしてみると、0-2でモンテの負け。
前節札幌にもいた、「オウン」という奴がゴールしたようだ(苦笑)
マリノスはボンバー中沢のヘッドで1点を取って何とか逃げ切り勝利したものの、大島の出番はなし。
アップしている姿をみて満足すっか。
2005年10月27日
たこ焼き屋開店
コンサートの帰り、家の近所にたこ焼き屋ができていた。
小麦粉系が大好きな僕はさっそく立ち寄ってみた。
「持ち帰りで、ひとつください」
「少々時間がかかりますがいいですか?
狭い店内には、間もなく食べ終えようとしている親子連れと、ビールを飲みながらニコニコしている青年がいるだけで、現在進行形でたこ焼きを焼いている状況から察して、待ってもたいしたことはないだろうと、
「待ってます」と半身を店の中に入れて待つことにした。
すると、ビールを飲んでいた青年がグラスにウーロン茶を入れて、
「どうぞ飲んでください」と僕に差し出したのだ。
たこ焼きを焼いているおばちゃん二人。そしてワイシャツ姿の別の青年も、そこに加わっている。
よくわかんないシチュエーションだったので戸惑っていると、おばちゃんの一人が
「どうぞ、サービスですからお茶でも飲んで待っててください。その人もお客なんだけどね」と言う。
僕は出されたウーロン茶を啜りながら、
「このお店、いつできたんですか?毎日ここの前を通っているのに気づかなかった」と訪ねた。
すると、なんと今日の夕方に開店したんだそうだ。
「まだ慣れていなくてね。もたもたしちゃってすみません」とおばちゃんが言う。
ワイシャツの青年はおばちゃんが注いだ小麦粉に、蛸のぶつ切りを入れていく。
実にたどたどしい。
しばらくして、千枚通しでひっくり返しながら丸くしていくのだが、それもかなりぎこちない。
そのため、たこ焼きがだんだん焦げ付いてくる。
う~む、大丈夫かなぁと思いながら、僕は一抹の不安があるものの、あたたかいまなざしでできるのを見守る。
「お客さんも、たこ焼きの作り方覚えて、今度手伝ってね」とおばちゃん。
「僕は子供のころ、どんどん焼き屋になりたいって作文に書いたことがあるんですよ」
たこ焼き1人前、¥280なり。
ドタバタな店だったけど、ふんわりしてあったかくて、おいしいたこ焼きだった。
Bass Solo Concert
幼馴染の正明君から久しぶりに電話があって、文翔館でJazz Bass soloのコンサートに行かないかと誘われたのが一昨日。
ソロコンサート、しかもベースソロ。あまり期待していなかったのだが、けっこう良かった。
藤原清登という、NYを中心に活躍しているJazzベーシスト。
実力派だが、知る人ぞ知る、存在だそうだ。
しかも、某画廊が主催している。
どうせあんまり人が来ないのだろうと、高をくくって開場15分後に文翔館に着いたら、けっこう満員に近い。
同業の知った顔もちらほら。
7時の開演。第一部は、地元のピアニスト大浦俊一氏とのコラボレーション。
大浦氏の選曲という、シックでメロディアスなナンバーを5曲演奏した。
最初の方は、少し遠慮気味だった大浦氏のピアノも、3曲目のボサノヴァ調の曲のあたりからどんどん乗ってきた。
ベースとピアノだけというのも悪くない。
第二部はベースソロ。
クラシックから、Jazz、ポップス。
予想通り、前衛的な理解不可能な旋律に陥っていったが、決して耳障りではなかった。
人のよさそうな藤原氏が、コントラバスを大事そうに抱えて登壇したり下りたりする様が、とても印象的だ。
怠け者の僕にとっては、「やっぱりウクレレにしておいた方が楽だな」と思った。
「よき友と、よき音楽と、よきお酒」があることが僕の至福の時。
今夜も、古い友人と、心地よい音楽に浸って気分が良い。
酒は、って?
こっそりシーバス・リーガルの小瓶をポケットに忍ばせていった。
おかげで後半の前衛的な音楽も楽しめたってわけです。
2005年10月26日
消防車
午前の最後の患者さんが終わって手を洗っていると、何台もの消防車のサイレンが聞こえた。
サイレンの音は次第に大きくなり、そして近所まで来て止まった。
火事?!
慌てて窓を開けて外を見る。
道行く人や近くのビルの人たちが群がっている。
消防車4台と、救急車、そしてパトカーが到着。
しかし、消防士たちにあまり慌てている様子はみえない。
診療室の窓から出火点が見えないが、たくさんの人たちの視線を追ってみると、近所の食堂付近だ。
昼食時の忙しさで、てんぷらの鍋でもひっくり返したのかと思いながら、屋上に上ってみた。
状況が良く見える。
白いワゴン車のボンネット部分に、消防士が放水していた。
オーバーヒートかなんかで、ボンネットから火を噴いたか?
消火作業はあっという間に終了。
あの程度なら、以前に消化訓練で教わった診療室に備え付けの消火器2本くらいで済んだと思われる。
こんなことで消防車が4台も出動するのはちょっと大げさだったか。
どうゆう状況で119番されたかはわからないが、いずれにせよ大事に至らず良かった。

2005年10月23日
タイガーバーム
僕のお気に入りのひとつ。筋肉痛には欠かせない。
アジアチックな匂いも、なんか効いてるような気がする。
これは、タイで購入したタイガーバーム。
他に、台湾、ドイツ、日本のものを持っている。
2005年10月22日
山形蕎麦の原点、あらきそば
何とか雨が上がってくれて、久しぶりのサイクリング。
ふっと、今日はあらき蕎麦を食べに行こうと決めた。
我が家に初めて自動車(スバル360)が来たころ、親父はしばしば僕を助手席に乗せてドライブした。
行き先は大体決まっていて、米沢の中華料理屋「永楽軒」か村山・大久保の「あらき蕎麦」が多かった。
そして思えば、僕にとっての山形蕎麦の原点はここの板蕎麦であって、この味が基本になって蕎麦を食べる度に「うまい」「いまいち」と評価しているのだ。
2005年10月16日
盛岡での講演
歯材ディーラーの㈱ウチヤマさんの主催で「インプラント講演会」が盛岡であり、講師として呼ばれた。
久しぶりの盛岡。冷麺を食べることを楽しみに出かけた。
昨日の土曜日は、雨の中を15kmほど泥まみれになりながら久しぶりに自転車に乗り、午後からはモンテVS横浜FCの消化不良な2-2のドローゲームを観戦し、夕方からはロッテVSソフトバンクのプレーオフをテレビ観戦しながら、9回裏に4-0から同点に追いつかれたロッテの抑え切り札小林投手の生気のないドロン目をみて、なんとなくもやもやした淀んだ一日だった。
アスパック社の岡部氏と共に、仙台から新幹線で盛岡へ。
天気が良い。
車窓から見える田園風景を眺めながら、あぁ、自転車に乗りてぇー!と身もだえする。
盛岡の駅ビルの中の「三千里」という店で冷麺とカルビ焼きを食べる。
辛味が少ないけど、奥深い味わいのあるスープがよかった。
開場の自治会館。きれいな会場で、同じ日に他の部屋で歯科関係の講演会・講習会が二つ行われていた。
歯医者が勉強熱心なのか、こうでもしないとなかなか歯科の材料が売れないご時世なのか・・・
講演開始の1時ごろは、ほぼ快晴。
開場の窓から外の景色を眺めて、「自転車に乗りてぇー!」とまたもや身もだえする。
こんなに天気の良い日曜の午後なのに、たくさんのドクターが聞きに来てくれた。
いつもどおり、緊張しながら喋り始めたが、同じ東北。
訛っていても全然抵抗なく話せるので、しだいに調子よくなってきた。
熱心な受講者のおかげだ。
インプレッションコーピングの面取りの説明をしている時に突然、面取り→めんどり→雌鳥(メンドリ)→雄鶏(オンドリ)→コケコッコー!という連想が勝手に頭の中で暴走して、ひとりで笑い出してしまった。
帰り、仙台で岡部氏と別れ、僕は仙台駅の牛たん横丁で「牛タン定食¥1500」を食べる。
BSE問題で牛たんの確保が困難なのか、量も少ないし硬かった。
30年前に食べたときのアノ感動は、残念ながら微塵もなかった。
なんとなく今日は肉食の一日。
やや凶暴な気分で、満席の山形行きの高速バスで帰ってきた。